≪コハクチョウ。向こうにはガンでしょうか。ものすごい群れています。≫
お久しぶりです...
ウトナイ湖。
というところがあります。
苫小牧の手前、札幌から車で1時間30分くらい。
日曜日、そこに行ってきました。
天気は晴れたり曇ったり、
雨が降ったり虹が出たり、
風が強く吹いたり、凪いだり。
そんな変化の激しいお天気でした。
風はびゅうびゅう。
コハクチョウはガーガー。
餌をやる子ども達はキャーキャー。
灰色の雲の向こう側に、
太陽の光が隠されています。
鈍色のカーテンの向こうには、
さんさんと降り注ぐお日さまがあるんでしょう。
ぼくと太陽を隔てた灰色の緞帳と、
その向こうにある陽光が、
はちみつ色をした空を創り出しています。
金色なんだけど、はちみつみたい。
ぐつぐつと、どろどろと。
ちょっと泥の付いた、
とてつもなく大量のはちみつが、
目の前に迫ってきます。
ハニー。
金色にもいろいろあるんだなー、
なんて、ぼんやりと。
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色。
人が、〇〇色という、特定の名前を付ける前から、
空はこういう表情をしていたんでしょう。
人が、他の人と話をするために、
「これを"金色"ということにしよう」
「これを"だいだい色"ということにしよう」
ということになったんだと思います。
そう。
会話をするために。
会話をするために、
色の名前を「発明」したとも言えそうです。
「この色、きれいだな~。」
「そうだね~、この色きれいだね~。」
で、会話を終わらせないために、
「この色」に「〇〇色」といった、固有の名前を付けてやる。
そうすると、
「この色って、〇〇色って言うらしいよ。」
「△△色にも似てるよね。」
「〇〇色の中でも深い色合いだな。」
といった、会話が生まれてくる。
言葉のやり取りを継続する可能性が増してくる。
「色」には、目にした情景を言葉に変換する機能がありそうです。
そして、言葉に変換することで、会話が継続しやすくなる。
内田樹さんの言うような、
「交換そのものが目的」
という現象なんだと思います。
言葉の交換、会話そのものが目的。
もしかしたら。
「色」は、
素敵な景色を見た人同士が、
その感動を分かち合いたくて考え出した
合言葉のようなものかもしれませんね。
自分自身が、普段、何気なく使っている「色」というものについて、
そんなことを思ってみます。
色に限らず、
きっと、人間同士が会話をするために、
いろんなものに名前を付けてきたんでしょう。
そして、その歴史は今も進行中で、これからも続いていって。
だから、新しい現象が起こるたびに、それに名前をつける人がいて。
その中で、支持を得たものだけが、後世にも語り継がれていって。
そうやって、人類は名前を付けるという行為を繰り返していく。
そんな理解です。
自分達が、特定の名前で呼ぶ前から、
「それ」は「それ」だったんでしょう。
「こないだの、あそこに言った時に、あの場所で見たあれ、きれいだったよね。」
なんて言ってたら、
何を指しているのかさっぱり分かりませんよね。
分かるもの同士だったら、問題ないんでしょうが。
それを防ぐために、いろんなものに名前を付ける。
「それ」とか「あれ」だったものが、
ある瞬間を境に「緑」とか「コハクチョウ」になる。
それによって、人間同士が会話しやすくなる。
たぶん。
言葉というものの向こうに、そんな来歴を想像します。
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