#65 人はなぜ踊るのか?-社交ダンスと交換

なぜ、人は踊るんでしょうか?


これが根源的な問い。

 

これに対していきなり答えを見つけようとするのは、

雲をつかむような話だから、

問いの次元を微分してみます。

 

もう少し限定してみます。


 

   ①「なぜ、人は2人で踊るんだろうか?」

 

   ②「数ある踊りの中で、なぜ、人は、社交ダンスを選択したんだろうか?」


 

もっと。


 

   ③「なぜ、人は2人で踊ることを楽しいと思うんだろうか?」

 

   ④「社交ダンスを踊る人にとって、喜びの源は何なんだろうか?」


 

さらに。


 

   ⑤「なぜ、"2人で踊る"という嗜好の型を採用する人が、

     こんなにもいるんだろうか?(1つの業界を形成するほどまでに)」

 

   ⑥「なぜ、"2人で踊る"ために、教室に通ってくるんだろうか?」



 

徐々に問い方を変えて、

その次元を具体レベルに下げていったつもりです。

 

(う~ん・・・でも、思いつくままに、ただ言い換えただけみたいだな・・・)


 

でも。

 

①と③の間では、

 

2人で踊ることを選択した動機を一元的に"楽しさ"に限定しているけど、

もしかしたら、

"悲しさ"や"切なさ"を求めて2人で踊ることを選択する人もいるかもしれません。

 

だから、

 

③は、

 

「2人で踊ることを選択した人は、何を求めて選んだんだろうか?」

 

と言い換えた方が正確かもしれません。

 

 

こうやって、根源的な問いを考える時

 

(例えば、"人生とは何か"とか

"何のために自分は生まれてきたのか"とかを考える時)、

 

範囲を限定していくと考えやすいと思います。

 

生産的な思考に乗っていきやすくなると思います。


 

 

そこで出てきた答えは、

 

最初の根源的な問いに直接答えたものではないかもしれませんが、

無数にある側面の1つから、

その問いに答えたものである事には変わりないはずです。

 

 

そうやって、

 

 

     "いろんな角度から語っていかないと全体像が見えてこない問い"

 

 

というのが、根源的な問いだろうし、

生きる上でとてもとても大切な問いだと思っています。

 

 

だから、ぼくは、

 

   

      "人生っていうのは、〇〇だ!"

 

と、

 

ある一面を挙げて独断的に言う人をあんまり信用しない事にしているし、

 

逆に、

 

 

      "自分が通ってきた道の事しか言えないけどね・・・"

 

 

というふうに、

 

自分の語りが大きな問いの全体像の一部だと

自覚した物言いをする人を信用する事にしています。



 

さておき。

 

 

         なぜ、人は2人で踊ることを楽しいと思うんでしょうか?

 

 

自分自身について考えてみると、

確かに2人で踊ると楽しい。

 

 

でも、理由については、

よく考えたことがありません。


 

 

          人が踊りたいと思うということはどういうことか。

 

 

 

こういう仕事をしている以上、

このことについて、

まじめに考える必要があると思っています。

 

 

生徒さんが教室に通ってくるということについて、

今まであまりにも無思慮だった気がします。

 

反省。

 

人を2人で踊ることへ駆り立てるモチベーションについて、

自分ならどう答えるだろうか。

 

 

そう自問します。

 

 

 

     踊りたいから。

     本能だから。

    (踊ることが)好きだから。

     男と女が引かれあうから。

 

 

こんなところ?

 

でも、答えになっていないような。

 

 

自分が人に、

 

 

        「何で踊るんですか?

        何で仕事にしてまで踊りたいと思ったんですか?」

 

 

と聞かれたら、きっとこう答えるんでしょう。

 


 

内田樹さんという方が、

とても興味深い話をしていました。


 

 

                 "交換は愉しい"


 

こういうことを言っていました。


 

一言で言うと、

 

 

     「有用な材が手に入るからではなく、交換することそれ自体が愉しい」

 

から、人間は交換するということ。

(『先生はえらい』ちくまプリマー新書) 


 

 

とてもとても刺激的な考え方です。

 

 

自分が人と何かを交換するのは、

何か特定の欲しいものがあって、

 

それを得るために、

お金という媒体を使ってするものだと思っていました。

 

というか、よく考えていませんでした。

 

 

でも、この考え方だと、

 

 

"ある特定の欲しいもの"が目的ではなくて、

交換すること自体が目的だという。

 

 

"ある特定の欲しいもの"が、

あらかじめ自分の頭のどこかに用意されていて、

それを得る事を目的に交換行為に及ぶというよりも、

 

"ある特定の欲しいもの"が、

交換するための口実のような役割を果たしているという考え方。

 

手段と目的の逆転。


 

おもしろいです。

 

これを援用して。


 

 

         「人はなぜ、2人で踊ることを楽しいと思うんだろうか」

 

 

という問いに対して。


 

「相手と交換できるから」。


 

何を?

 

 

      

コネクトした手から伝わる、ウエイトの移動を。

      

次に出る方向や距離、

スピードを知るためのエネルギーを。

      

練習中にお互いの意思を確認しあうための言葉を。

 

デモンストレーションで踊る上での

喜び、辛さ、達成感を共有しているという実感を。 

 

 

「次はこっちの方向に、これくらいの反動で、

これくらいの距離を出すつもりで、

これぐらいのスピードで行くぞ!」

 

「O.K!」


 

という意思の疎通が、

 

言葉ではなく身体の張りとかに表象された

"ブワーッ"とした何か(エネルギーと言われることが多いですね)

のやり取りとして現象する。


 

ということは、

 

社交ダンスというものは、

人と人とが意思や身体エネルギーを交換するための手段。

 

 

と言えそうです。

 

 

          "社交ダンスをしたい。踊りたい。"

 

と言って、

 

社交ダンスを"目的"にして始める人も、

 

実は、

 

          "誰かと意思の交換をしたい。

          エネルギーの交換をしたい。"

 

 

という真の(裏の)目的を

暗に、無意識に希求していて、

 

"その手段として"、

社交ダンスを習いたいという言葉につながっていたのかもしれません。

 

 

社交ダンスを目的にしている人にとって(自分を含め)、

実はそれが別の目的のための、

ただの手段になっているかもしれないということ。


 

とても不思議です。

 

 

ダンスを踊ることが目的だったはずなのに、

知らない間に、もっと大きな次元の目的のための手段に変わっていたなんて。

 

いや、知らない間に変わっていたのではなくて、

最初からそうだったのに気付いていなかっただけなのかもしれません。

 

 

こういう例は

他にも身の回りに見つけられそうな気がします。


 

 

          "自分はこれがしたい。してみたい気がする。" 

 

といった動機に、心が、身体が駆動される。

 

 

でも、後になってふと考えてみると、

 

実は別の目的があって、

その一部として、手段として、"してみたいと思った"だけなのかもしれません。

 

そういうことは、後になって気づくもの。

 

 

例えば、

 

 

"どうしても観たい"と思う映画があったけど、

実はその映画を観ることが目的というよりも

"一緒に観に行きたい人がいて、

その人と観に行くことが目的"だったとか。

 

だから、

目的はその人とデートすることで、

映画は手段ということ。

 

 

でも、こういう場合は確信的なのか...

 

 

知らないうちに手段と目的が入れ替わった

というのとは違う場合が多いし。

 

 

 

話を社交ダンスに戻して。

 

 

こういったコミュニケーション

 

つまり交換行為への欲求が、

人を社交ダンスに向かわしめる要因なんじゃないか。

 

そう考えるのも間違いじゃないと思います。


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コメント(2)

とっても共感しました。
今年の7月からsamba de gafieiraを勉強してます。

前は「踊りたい」だけでよかったんですが。
最近は実際のレッスンから得られる目的が少なく感じてます。
ギャップが激しいです。

私がダンスを始めた環境がそう感じさせるのだと思います。
最初からダンスパフォーマンスの練習でした。
基礎といえは最初のステップだけで後はペアを組んで男性のリードについて行くだけでした。
女性の場合はついて行くだけで踊れるようになるんですね。
いつの間にか意識しなくても体はついていきます。

先週パフォーマンスが終わってから、基礎のレッスンが始まったんですが、
教わってるとういより、教わる必要を感じませんでした。
もう体は知ってたからです。

今までダンスはやったことがなく、gafieiraが初めてでしたが、
他のを挑戦したほうがいいのか考えてます。

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